都市の広場や公園は、何のためにあるのだろうか。行政の計画書には、憩いの場、防災拠点、にぎわいの創出といった目的が並ぶ。いずれももっともな理由だが、目的をあまりに明確に定めた空間は、かえって人を遠ざけることがある。 ある地方都市で、駅前の空き地を整備する事業が行われた。当初の計画では、ベンチや花壇を整然と配置し、イベント用の舞台を設ける予定だった。ところが住民との話し合いを重ねるうちに、整備の範囲を最小限にとどめ、芝生と数本の木だけを残す案が採用された。完成後、そこでは子どもが走り回り、高校生が座り込んで話し込み、週末には誰かが持ち込んだ机で小さな市が開かれるようになった。使い方が定められていないことが、人々の多様な関わりを引き出したのである。 この事例が示しているのは、空間の価値は設計者の意図によってではなく、利用者の行為によって事後的に生み出されるということだ。計画者はしばしば、あらかじめ用途を定めることで空間を有効に使おうとする。だが、用途を限定すればするほど、想定外の使い方は排除される。( A )、余白を残すことは、利用者に空間の意味づけをゆだねることにほかならない。 むろん、何もしないことが常に正しいわけではない。安全の確保や最低限の維持管理は欠かせないし、放置された空間は荒廃する。重要なのは、作り込むことと委ねることの釣り合いである。行政が担うべきは、すべてを決めることではなく、人々が自ら使い方を編み出せる条件を整えることだろう。 都市とは、計画された秩序と、そこからはみ出す営みとの重なり合いによって生き生きとした場所になる。空間に余白を残す計画は、一見すると消極的に見えるが、実は都市の活力を市民に託す、きわめて積極的な選択なのである。
駅前の空き地の整備事例について、本文の内容と合致するものはどれか。